江戸時代の土地は、基本的にはすべて幕府の所有物でした。つまり、庶民は土地を持たなかったのです。明治5年に田畑永代売買が解禁されて以降、地券が発行されて土地の私有権を証明できるようになり、田んぼや畑の売買が可能になりました。江戸時代は、幕府が大名に土地を貸し、大名は地主などに貸すという構図だったのです。つまり、庶民にとって土地は借りるものであり、「財産」ではありませんでした。
それは家屋も同じです。幕府や大名から土地を借りた地主は、そこに長屋を建てて庶民に貸しました。ところで、「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉もあるとおり、紙と木でできた家屋は、火事となればすぐに燃えてしまうし、ただでさえ密集して建てられた町の中ではすぐに延焼が広がります。それに、当時の消火活動は、火が燃え広がる方向の家を取り壊してしまうという乱暴な方法でした。それ以上の延焼を防ぐためにも、当時の家屋はわざとすぐ壊してしまえるようなつくりになっていたのです。そもそも現代のように家は残るもの、動かない資産である「不動産」という認識がないのです。
では、大家さんってなんなの?と思いませんか。時代劇でもよく出てきますよね。大家さんは、不動産の所有者ではなく「家持(いえもち)」の代理人、つまりマンションの管理人みたいなものなのです。※家持とは、江戸幕府が開かれた頃、徳川家と一緒に江戸に入植してきた町民たちで、徳川家から町割りされた土地を拝領し、そこに家屋敷を建てて街をつくっていった最初の江戸市民です。
管理人とはいえ、現代の日勤アルバイトのような管理人を想像されるとその実態は全く違うものでしょう。昨今の近所付き合い・地域社会の関わりの薄さが議論されていることからも、昔はこうでなかったという思いが汲み取れると思いますが、江戸時代では隣近所の付き合いが非常に密接でした。テレビがなかったとかインターネットがなかったとか、現代との違いを考えるとそれもあるでしょうが、落語でよく言われるような、“大家といえば親も同然、店子といえば子も同然”というのは、五人組システムがあったからではないかと思います。五人組というのは治安維持の政策で、近所に住む5人(頭数は今でいう世帯主、を数えていると思われる)を1組として、何かあれば連帯責任ということでお互いを監視させていました。学校の授業で習った時は嫌な制度だなぁと思ったものですが、性善説で考えるとこれほど効果の見込める施策もないでしょうね。少なくとも、体制のおかげでこういった関係性は密にならざるを得なかったでしょう。他人事ではないものだから、今日の食い扶持はくれてやるから盗みだけはやめてくれ、というようなこともあったかもしれない。いろんな側面があるものですね。
江戸時代の家賃と住宅との関係について、土地家屋調査士の方が書いている記事があって、とても面白く読ませてもらいました。新しい視点で非常に新鮮だったので、ぜひ一読してみてください。西村土地家屋調査士行政書士事務所 住宅ローンと不動産のお話
コラム 不動産とは
民法で規定する「不動産」は、土地および土地に定着している物をいう(民法86条1項)。
それ以外は「動産」という(民法86条2項)。
定着物というのは、建物、木、石垣といったものです。これらは土地とは別個の不動産とみなされます。庭木、庭石など取り除くことができないものは、土地の附合物としてみなし、土地と一体となってひとつの不動産を形成すると考えられます。
注)木って、不動産なの?と思う方も多いでしょうが、登記していれば不動産とみなされるのだそう。建物は登記がなくとも不動産として扱われますが、木を不動産とみなすためには立木法による登記が必要になります。