江戸時代は、一般的な民家が礎石(土台)の上に建築する丈夫な住まいへと変わった時代です。都心部ではなく地方の農家では、曲屋や合掌造りといった雪国に適応する住宅など、地方によってその土地の気候風土に適応しやすく工夫された建物が建てられるようになっていきました。260年間の平和がもたらした文明の発展ですね。今もこれらの建築物が健在であるのは、その工法によるところが大きいです。床下や浴室など、腐りやすい部分には欅、栗、檜と言った乾燥しやすく頑強な木材が使用され、梁には強度の高い松、内装には杉などの木目の美しい木材や、調湿効果に優れた素材を使い分けています。国の重要文化財に指定されているような古民家は、メンテナンスをしっかりすればなんとまあ200〜300年は持つそうです。
日本の伝統的な住宅は、地震に強い構造でもあります。現在、住宅の建て方には、大きく「在来工法(木造軸組工法)」と「2×4工法」の2種類がありますが、そのうち「在来工法」は柱と梁を直角に組むだけでなく、筋交いを斜めに入れます。この工法はこの時代の民家の造りを簡略化したもので、最新の耐震、制振ダンパーにも、斜めの構造が取り入れられています。地震の多い日本で衝撃を逃すために工夫されてきたものなのでしょう。
さて、「農民」といっても、農村を取りまとめた庄屋、土地の使用権を持ち自分の土地として耕すことができた本百姓と、百姓や庄屋の田畑を耕して生活していた小作人に分けられますが、その差によって住居も明確に変化します。余談ですが、別のページで書きましたが(町人の町屋)、江戸時代の土地はすべて幕府の所有なので、百姓は土地の所有権を持っていたわけでなく、その土地で作付けできる使用権のようなものを持っていたと考えられます。
庄屋クラスの農家では、主屋と蔵、馬小屋、納屋など、複数の棟があるお屋敷も珍しくありません。主屋は2階建てで、使用人の部屋もあるような大きな建物であることが多いです。土地を耕す権利を持っていた百姓は、主にかやでつくった高い屋根の家を建てることができました。壁は一部だけが土壁で、ほとんどが板壁。大抵は、土間、囲炉裏のある板張りの部屋と寝室の2部屋です。土地を持たない小作人は、高屋根ではなくわらをしきつめた藁葺屋根で、家の周囲は土壁に杉の皮を貼って雨がしみ込むのを防いだようです。屋内も囲炉裏をおいた1間だけ。土壁は基本的には調湿作用があり断熱効果も高いですが、外側に杉の皮を貼っただけとなると話は違ってくるでしょう。屋内に空気の層があるだけで室内の温度は全く違うので、2部屋が1部屋になるだけでも屋内の体感温度は違うはずです。冬場は辛かったに違いありません。小作と百姓の間にも結構大きい差があるではないですか。これが世襲というのだから、世知辛いですね。